すあま漬け

人工透析からの生体腎移植。移植後8年。

悩みごと


ひとりで閉じこもりすぎちゃうのも良くないけど、最近すごく心が疲れてた気がするから、精神的にリセットする意味で今回の入院の時間はよかったんじゃないかなって思う。もうちょうどいいから退院したいけどね!笑


去年からずっとありがたく忙しい毎日だったんだけど、その中でいつのまにか、自分だけ体の調子が良くないこととか病弱なことが認められなくなってきてた。


いろんな人と関わっていくうちに「なんで自分だけ」って思うことが増えたりしたんだよね。みんなと同じように過ごしてると、自分だけ具合が悪くなってきちゃって(もともと普通の人の半分くらいのエネルギーしかないので当たり前なんだけど)楽しめれば楽しむほど寿命が削られていく感覚みたいな。毎朝すこしずつ寿命が縮まってる感覚に襲われてた。


ちゃんと休まなきゃいけない、無理しちゃいけないっていう制限がある。それが「これだけ楽しんだってことはこれだけ疲れが溜まってる=体が壊れていく」っていう図式が自分の中で大きくなりすぎて、なにもかもが素直に楽しめなくなってた。そうすると、そんな自分が居ても空気悪くなるだけだから居なくなった方がいいんだろうなとも思ってた。

そうゆう悩みがあっても、思い込んじゃってると誰かに話して解消するものでもないし。他人に、そんなことないよって言われてもきっと信じれない。


人生楽しんだもの勝ちってよくいうでしょ。

たしかに病気でも人生充分楽しめるって今ならわかる。でも、一度他人と比べ始めちゃうとほんと負けちゃうね。人生の自由度が全くちがうんだもの。

治らない病気の治療をしている自分。延命治療を受けている人生。これって長生きする必要あるのかなって。吹っ切れて無茶するくらい楽しんではやく死んだ方がいいのかなとか。

そんなこと考えはじめるとネガティヴ思考が止まらなくなってしまって(たぶん病気の影響でカルシウム減りまくりでメンタルも弱りがちだったのもある)病みすぎて、完全に心閉じちゃってる状態だった。

結局思い込みを変えたりとか、自分でどうにかするしかないことでもある。

恋愛相談みたいに誰かにアドバイスもらって解決するかもしれないってことでもなくて、むしろ他人に話してもどうにもならないが故に相手を悩ませてしまうことっていうのがわかるから、話もできず。

そんなわけで、わりと破裂寸前のいっぱいいっぱいだったので心の休憩をかねて休めたのはよかったと思う。免疫抑制剤だけじゃなくて、そうゆうことからも腸が弱ったりもしてたのかもね。

休むの大事。たまにはすべての生活から切り離したところに自分を置くのも大事。物理的に離れるのはなかなか難しいけど、心は自由に、囚われないようにしたい。

「元気な自分」だけじゃなくて「病気の自分」の人生にも意味を感じれるようにしたい。ムダに病気でいたくない。